深海の水のように

研ぎ澄ませ心を

今さら奇子の総括

奇子

2019/7/14〜8/4  @水戸、東京、大阪


いつの話だよって感じなんですけど、奇子の全体の感想を書こうかどうしようか迷ってたのを思い出して、せっかくなので書きます。
と言ってから相当経ってます。冬から書き始めました。

見応えもあったし考える余地もいっぱいあったし、同じ回を見た友達とたくさん意見交換もしたし、何よりこのお芝居が、自分がもとから好きな感じのお芝居だったので、自己満でだらだら書きまくってます。


覚書を書くための考察メモとか、フェイスブックに書いた感想にいろいろ足してます。 同じような表現が何回か出てくるかもしれません・・・・

あのシーンのここがよかったみたいな具体的なことは一番下の方に当時書いた観劇メモが画像で全部載っけたのでそちらにあります。
内容については原作もあるし内容を詳しく書いてる方がたくさんいると思うのでそっちを見てください(大の字)


ざっくり説明すると、天外家という青森の田舎の旧家( と言う表現でヤバイのを察してください)の中で、 奇子というお父さんと長男の嫁の間に生まれためちゃかわいい子が、次男の仁朗がスパイで長女の彼氏殺害に加担したとか、 関連してお手伝いさんを殺した事実をもみ消すために死んだことにされて5歳から27歳まで土蔵の中で育てられて、その結果あまりにも美しく奔放でエロく育ってしまってみんながメロメロになりつつ、 次男が反省して贖罪しようとして引き取ってお世話したりするけど彼氏に取られたり、三男がみんな奇子に謝れよ!!!! ってみんなを窖(あなぐら)に閉じ込めたり、それぞれの欲望とか見栄とかがごちゃごちゃになって泥沼~!って話です。


これがまたほんと~~~~~によくって、ほんと~~~~~ によかったです。見るたびに全出演者がよくなっていて、やり取りもよくなって、この人は最初は何がしたいか分からなかったけど、実はこう考えてたのか!とか分かるようになって、( そう思うといつも初日も千秋楽も同じ値段やぞって思うんですけど )。というか、今回プレビュー公演があってよかったなと本当に思いました。人に見せてから進化していくものってあると思いますが、プレビュー公演があったからこそ、本公演がいい感じでできたと思うんですよね。多分・・・・
ACM、紀伊国屋ホール、ブリーゼの全会場で見れてよかったです。


劇場について
会場的な話だと、どこも個性的でよかったんですけど、やっぱり紀伊国屋ホールのために作ったお芝居だったんだろうな~ と思いました。音響とか舞台の作り方というか、照明もそうですが、何より窖の空気が届く範囲というか。そんなものが。
水戸公演のACMは半円の客席で、わたしは2階と3階からしか見てませんが、 2階3階の端の方から見たのが会場ならではのアングル!って感じでよかったです。ほぼ舞台の真横で。でも1階席が狭かったので、あの前列辺りで見てたら窖感をいきなり浴びれてたんだろうな~ と思って羨ましかったです。これについては席というかお芝居というかなんですけど、上の階から見ると、やっぱり箱庭を覗いてるような疎外感があったので、 そこはいわゆる良席はよかったねという印象でした。
でも上階端の席だと、上向いてる時の仁朗の顔がよく見えたんですよね。窖で死にかけてるときとか、 はなおに首しめられるとことか。 苦しそうな表情がたくさん見れてやった~! って双眼鏡覗いてました(笑)あと奇子が読む雑誌のページとか。 本当に本物の雑誌ぽかったです。


東京の紀伊国屋ホールは、会場はもちろん、設備も含めて音響が本当によくって、というかスピーカーがたくさんあって、 前からも後ろからも音が出ていたのが本当に窖に響いてるみたいな感じがあって、あ~これがしたかったんだなと・・・ 個人的には世界を作る中で音響が大きく意味を持っていることにと ても興奮しました。 客入れの蝉の声が前からしか聞こえてなかったのが、始まる直前に横を通って後ろまで取り囲まれるみたいに聞こえて、ぞわわわわってした最高潮で急に暗転、爆発で始まるのが最高・・ ・・・・いろんなところから反響してるように聞こえて・・・・ 音響ってすごい・・・・
あとは23昼?に空調の感じが妙に蒸し暑くて空気が薄くて、その感じがまたとても雰囲気に合ってるなと思いました。 ただ本当に空気が薄くて気が遠くなる瞬間もありましたが・・・(笑)
あと回想から現在に戻る所で、 客席に光が当たるのがACMでは角度的に完全に舞台が見えていたので何のための光かよくわからなくて、影ナレと合わせてちょっとおもしろかったんですけど、紀伊國屋ホールで正面から見てやっとわかりました。


ブリーゼでは2階前列の真ん中から見ましたが、水戸の2階とはまた違った雰囲気で、お芝居がとてもよかったので、あんまり遠いとかどうかとかはなかったかも・・・ と今になっては思います。あ、でも客席が真っ黒の空間はとてもよかったです。 黒い劇場ってそれだけでちょっと窖感があって大好きなので・・・ あとよく行く小劇場がだいたい黒いのもあり・・・
でも最初のセミの鳴き声が、音量なのかスピーカーの配置なのか、いまいち盛り上がりに欠けてたので、 窖でぎゅうぎゅうみたいな息の詰まる感じは少なかったかもなと思います。会場も広いし・・・

 

 

内容について
お芝居は回を重ねるごとに深まって真理に近づくタイプの内容( 脚本?)で、それがまたよかったなと思います。 それがちゃんと深まっていったのがよかったな~。なぜその行動・言葉になるのかを俳優の皆さんがちゃんと持ってて筋を通しているような、余白をしっかり埋めているような印象でした。 人間が舞台に立って上演する舞台ならではの良さというか・・・ お芝居としてとても好きな感じでした。 あとは余白の埋め方で関係とか心情、内包しているものが少しずつ変わるような、進化だけでなく横揺れも楽しめる・・・ "芝居はナマモノ"の良さが存分に楽しめる内容だったと思います。

そういえば、仁朗をはじめとして他の役の皆さんも、 欲にまみれてドロドロして怖いって最初は言ってましたけど、 欲に忠実でピュアなところとか、弱い人間だから(時代的なものもあるけど)虚勢を張るのとか、その虚勢とか作っていたものがちゃんと劇中で崩れるのとか、いろいろ見えてきてみんなとても愛しく感じられてよかったです・・・。人の弱い部分、 欠点が出てくるとそれはそのまま魅力になるので・・・・
回想シーンで解散したり集まったりしながら現在と過去を行き来するのが、最初はちょっとじわじわ面白くなっちゃいましたが、途中から慣れたのか説得力が出てきたのか気にならなくなりました 。
衣装も最初はえ・・・・・?(困惑)って感じだったけど以下同文。でも途中の公演とか東京とかから見た方の感想では見てないので、 馴染んだのではないかな~と・・・わかりませんけど。 私一人が馴染めなかっただけかも。


あと、些細なことですけど、 皆さんの髪型がとてもちゃんと顔が見えるようになっていて(お涼は隠れてたけど、あれはまたそういう表現だと思うので・・・ )表情が分かってとてもよかった。 繊細な表現とか目の動きが良く見えるのが嬉しかったです。(どうでもいいけど最近お芝居とか映画見てるとお顔の小さいイケメンが軒並み目が隠れるような髪型で、 表情が全部隠れちゃってすごく損じゃないですか)
そういえば五関様が直前の雑誌で自分はオールバックじゃない(かっこよさのジャンルが)って言ってたけど、 顔よく見えるのよかったです~~ なぜなら目の表情がいいからです。そもそも目元もかっこいいし。(その後のCrush on youでもオールバックだったね!ロイヤルでかっこよかった!)

 

 

それぞれの役について

奇子
この世のものではない感が存分にあってとてもよかったです。 大胆に出た手足が白くて発光してるのでより大きく見える。 あとは坂の上にいたりして、人より高い所にいるとより神様っぽく見えるし、上からみんなを眺めて裁いてるように見えました。手足がそれぞれ2mくらいある(ない)。儚いというよりも健康的なので、より生きる強さを感じてとてもよかったです。
衣装のワンピースが、最初遠目から見てたら色が薄い部分が透けてるように見えてとてもドキドキしました・・・・なんて大胆なんだろうと・・・違った・ ・・・安心しました。 赤いスパッツも安心して見れてよかったです。 ワンピースの丈があまりに短くてこれどうするんだろうと思ったので。
お芝居をしてるところはあまり気持ちとかが読み取れなかったんですけど、(すえのことお母さんって呼んで聞き返されてうつむくとか、やっぱり仁朗兄ちゃんなのねとか)奇子は主体じゃなくて、 誰かの目で見た姿で描かれるので、奇子の細かい感情は分からないほうが見ごたえがあるかも、と思いました。不気味さがまたよい。でも結局「 仁朗兄ちゃんなのね」は何だったのかよくわかりませんでした。 多分この気持ちが最後の「仁朗兄ちゃんの事・・・」 につながるんじゃないかと思うんですけど。 舞台のテーマというか最初の動機が贖罪だから“赦し” とかになるのかなぁ。 わからないからこそいいのかもしれませんが・・・
仁朗とはなおがバチバチしてるところ、 いつもどんな感情なのかわからない顔をして二人を見てて、はなおの方に行く! ってなる瞬間にニコニコしながらはなおのとこに行ってたんですけど、それがなんか怖くてとてもよかったです。
仁朗が撃たれて這いずりながら遠い所に行こうって言ってるのとかもそうで、 特にそれ見てなんの感情も生まれてなさそうなところが・・・・・ ・たまらない・・・・・


ちょっと浮いた存在感がばっちり生きていて、 それゆえにものすごい色気と力があって、芝居慣れしてない( というかなんというか)人の使い方としてめっちゃよかった・・・・・ このタイミングの駒井さんにしかできないんだろうなと思った。 そしてとても大きい・・・・・


市朗
最初はよく分からなかったんですけど、だんだん弱い部分が見えるようになってきて、とてもかわいらしく思えてきました。 家で時代で長男で強くいないといけないし、財産は欲しいし、でも元は弱い人間だし、でもそれをさらけ出せなくて、(時代的なものも立場的なものも自分の意地もあるし)でもお父さんが死んでこれまで虚勢を張ってたのが壊れていくのがとてもあわれで愛しく感じました。 山崎の前ではオロオロできるのもかわいい。 でもすえさんには身分不相応に強く出るところはかわいそう。だからずっと怨霊が見えるんだなと。 原作読んだ時には大きいイメージがありましたが、人間の造形的に小柄な梶原さんがやるのよかったな~と、今になったらわかります。
弱いのに意地とかプライドがあるから自分は悪くないって言いながら連れて行かれるのはまあどうすることもできないですね・・・
大楽で最後の語りの時に目に異様な光がユラユラしていて、 本当に走馬灯が見えているみたいでぞくぞくしました。( でもここ、足元を仁朗が這ってるのがかわいすぎてどっちも見たくて目が足らなかった)


仁朗
仁朗も小さくて弱い人間だけど、奇子を相手にしたときだけ上手に取り繕っていて、なんとか支配しよう(自分は支配できる)と思ってるんですよね多分。 罪を償いたい気持ちと支配欲がくちゃぐちゃになってるのかなぁ。でも純粋に奇子に幸せになって欲しい気持ちも多分ある(これはこれで重要ポイント)けど、どちらかというと自分が奇子を幸せにしたいし、なんとしても奇子の幸せに自分が関与していたいみたいな。 はなおとの同居に至るまでの必死さとか。死ぬ前の悪あがきとか。 奇子への執着と罪を償うオレがどこからどこまでかわからないです が。
でもむしろ奇子を相手にしたときだけ妙に弱いのかも?(奇子が強すぎるからそう見えるのかも?) 伺朗相手の時は普通に上からだし、 市朗にはちょっと甘えたりするけど「頭があがらんだろう」 ってすごい下から出てるし。志子には優しいし・・・

出演者の中で五関様だけ役以外の人柄を知ってるというか、既にイメージを持った状態で挑んだのであれですけど、水戸から東京にかけて優しさがだんだん出てきてたのが、人物が深まっていくみたいで、 素が滲み出てきたみたいでとてもよかったです。
あと、次男っていいですよね・・・・・ 本人がどこ行っても長男だから市朗相手に「あにき」って呼ぶのめちゃかわいかったです・・・
そういえば、仁朗って「血が繋がってなければ~」って言うけど、 血が繋がってなかったら奇子にこんなに執着してなそうだなと思い ます。
というか、途中から思い始めたけど(回にもよるけど) 血が繋がってるかどうかで人への扱いが(お涼と志子・奇子) ちょっと違うような気がしてきて、家族愛か~・・・・ みたいな気持ちになりました。妹にやさしい仁朗・・・・ お涼にもまあそこそこ優しいんだけど、やっぱり決定的に何か(最終的には殺すかどうか)が違うんですね。
・・・と思ってたんですけど原作見るとお涼もあの父親の子なんですね・ ・・・・舞台では言及されてないので・・・・


志子
ポスターで最初に見た時に、あまりのかわいらしさからたぶん1, 2番目にビジュアルのイメージが原作と違うな~ と思ったんですけど、そこからなじむまでがとても速くて、14日の夜にはもう志子はこの人以外ありえない! って思いました。なんか、説得力が凄かったんですよね。 志子として生きてたというか。
大楽は復讐に燃えてた印象で、 目がとても鋭くてドキドキしました。 顔のつくりがはっきりしてて、 ブリーゼの2階からでも表情がよくわかってよかったです。 個人的な好みですけど顔がはっきり見える人って好きです。
家の外に大切なものがあって、そのために仁朗を刺すけど、それって“気が済むかどうか” の問題だから別に江野の為ではなくて、ただ自分の欲なんですよね。 最終的に刺したって江野が戻ってこないって言うけど、 分かってた上で刺すんですよ。というかあの状況で刺したら死ぬし、何なら刺さなくても死ぬって分かったうえで刺すんですよね。(さらにそこにかけられる仁朗の「気が済むまで刺したらいい」 があまりに優しくてやるせなさがすごかった。)
「どういう血統よ!」ってセリフが今まさに兄を殺そうとナイフを持ってる自分も含めてると思うと壮絶な気持ちになりました。 自分もそういう人だってことだものな。
殺す気だったにせよ、相手が兄だからな~。 兄だったからこそ自分では殺しきれなかったとは思うけど。 窖に来たときに駆け寄って憎さと心配で複雑そうな顔するのがすごいぐっときました・・・・・ あと奇子が仁朗に寄った時になんともいえない顔するのもよかったです・・・複雑な気持ち・・・・・当たり前だとは思いますが、 こういうセリフのない所のリアクションがちゃんとしてるの素晴らしいですよね・・・説得力・・・・
あと個人的に自分は志子に近いと思ってて、 血縁ではないですがコミュニティでわりと思い当たる節があったり して。あとわたしは気を済ませるために刺すだろうなみたいな。 また志子役の松本さんが良くって・・・説得力があって・・・・ ぐっときました・・・・・生の人間で見るのっていいですね。


伺朗
顔というか目がどの席からも見えてすごかったです。 あとやっぱり声とオーラの圧がすごい。 どの会場でどの席から見ても圧倒されました。 暑苦しさがぴったりでしたね。
奇子を暗闇から救ってやりたい伺朗はでも救ってやりたかったわけではないって言うんですよね。( 本当に奇子を思ってたのはすえ姉さんだけだって言うから・・・・ )愛しかったってすごいよな~と思いました。
公演前に一度読んだきりで原作を全然読み返してないんですけど、 伺朗はとても小賢しいキャラだった印象ですが舞台では小賢しいキャラははなおなんですよね。伺朗は・・・なんだろうな。 生きる力みたいな・・・(?) でも三津谷さんと味方さんの雰囲気にはそれがぴったりだと思いま した。
伺朗はなんか奇子の手をとって気持ちよく死んでいくの、ね。
三津谷さん本当にすごかったです。 プレビュー公演からしっかり圧倒してきてとてもよかったです。 生命力・・・・・ 個人的にお芝居を見る一番の理由が生命力を見たいとかなので、 とても嬉しかったです。 商業でこういうエネルギーぶつけられることってあんまり無いので ・・・・・アングラ小劇場が好きなので・・・・・ と思ったけど三津谷さんって.5の方なんですね。 商業中の商業だった。すごい逸材。
( めちゃくちゃ失礼ですけどプレビュー公演は本当に伺朗がいなかったらお芝居の作品として物足りなかったと思う。 あんなに狭い劇場だったのに・・・的な・・・・)


すえ
すえさんは、 正直言うと自分ではいまいちつかみきれなかったです。 伺朗が奇子のことを思ってたのはすえ姉さんだけって言う割には“ 嫁の座を守るため”に見捨てたし、でも涙も枯れたわみたいな被害者然としてるし・・・・
すえさんのめっちゃ少ない息で早口でぼそぼそまくしたてるやつ、そういう人いる!って感じでよかったです。いる。
嫁の座を守ることで何がどうなるのか最終的にわからなかったんで すけど、もしかして最初からお父さんから財産は全部お前にやるとかいわれ てたんですかね。 で財産もらったら市朗と離縁っていう人生設計とかだったのかな・ ・・・・?
でも嫁の座=生なのかもしれない? 行く場所ないって言ってたので・・・・ 自分が生きるためにだったのかな~とか・・・ この辺の時代の家に対する考え方に理解がないから( たぶんそこが分からないとすえさんは分からないのかも) 難しいのかも・・・
そういえば、すえさんの衣装について、 ずっと最初から最後までちょっと暗めの赤だと思ってたんですけど 赤じゃないの?あんまり近くで見てないから分からなかった・・・ ・何色だったんですか・・・・・


山崎
山崎ね~~~よかったんですよね~~~~ ああいうおじさん好きです。 適度にフワフワして適度にダンディで。
商業舞台のベテラン枠でちゃんと雰囲気持っていい感じのお芝居す る方ってけっこう少ない(経験上)ので、 堂々のベテラン枠でほんとによかったです・・・・・ じめじめしたお芝居の中の箸休めポイントってとても重要だもの。
殺してやる!の鎌からアッチョンブリケのくだりは、 あそこで笑えるとその後の展開がやべーのがさらにやばさが増すから結構重要なのでは、と思ってました。 打率3割くらいだったけど・・・( あれは鎌のくだりからめっちゃ大切なので・・・・・)
あと、これは人の感想なんですけど、あそこでちょけるのが、 奇子を強姦するのに罪悪感も何も抱いてないってことで~ みたいな感想を見てなるほど~!って思いました。 人の倫理観が試される芝居だ・・・・
あと背の高い山崎とこぢんまりした市朗のセットかわいかったです 。
あと、山崎というか中村さんですが、建設会社の人のとこ、 のびのびしてて楽しそうで好きでした(笑)


波奈男
はなお東京公演でなんて華があるんだろうと思いました!若い力! いるだけで場が華やいでいいですね。
水戸では気にならなかったんですけど、東京大阪( 大阪はちょっとましになってたけど) で2つ3つくらいのひらがなを一度に発音してちょっと滑って聞き取れないところがあったのは惜しいなと思いました。 はなおは明瞭な言葉で喋るイメージでもあったので・・・・・
でも若くて爽やかで小賢しそうな感じはとてもよかったです。
はなおも結局は独占欲で奇子を見ますけど、 兄たちと違ってはなおは死なないでとか言ってもらえないんですよ ・・・・・そしてみんなと同じレベルで一緒に死ぬ・・・・う・・ ・・・・・
奇子が再会した伺朗に抱きついたのたしなめるはなお本当に支配欲むき出しでよかったです・・・・・フゥーーーー!!!って感じ( ?)
奇子とはなおってなんか不思議で、同情というか、 支配欲と庇護欲みたいな。 はなおって奇子をめちゃめちゃ下に見てますよね。 いやみんなそうなんですけど。でも奇子は仁朗よりもはなお選ぶんですよね(一緒に暮らすとこでは) 
仁朗が死にかけで二人の家行ったときに、 はなおがシャツのボタン閉めながら出てきてサスペンダー引っかけながら喋るのめちゃ萌えでした。 サスペンダーめっちゃ似合っててよかったです。 あれって途中からやり出しましたか?
あと窖で死にかけの仁朗に触って嫌がられるのとかもかわいかったな・・・触ったの嫌がられるっていうか、 あれははなおを追い払おうとしてたけど・・・
仁朗の首絞めて死んだふりされたとこで、 聞こえる回と聞こえない回がありましたが、自分の手見ながら「 父さん・・・・」って言ってたの、めっちゃ胸かきむしられました・・・・・ はなおもやべー奴なんだよ・・・・・・( その後すぐ仁朗が立ち上がるけど)でもそれ経てもなお自分はまともだと思ってるはなお、 控えめに言ってだいぶやばい。


お涼
どこまでも仁朗を中心に見てたので、 お涼は血の繋がってない妹みたいな、 奇子とか志子とは似てちょっと違うみたいな感じで見てたと思います。 中と外の中間としていい感じの騒がしさとかかわいさとかあって、 仁朗にわーって絡み付きに行って適当にあしらわれたりするのどっ ちも可愛くてよかった・・・・
これは仁朗の話ですけど、お涼に対して「 何を言ったってしょうだないだろう、白痴の女に」みたいなこと言っといてスパイだとばれたら困るから殺すの、 めっちゃ頭おかしいなと思ったんですよね。 狂気を感じるならばここかな? お涼を通して誰かに知られるってことなんですかね?
男たちが奇子の前ではなすすべもなく無力だけどお涼が奇子のハー トを捉えてるの、 フォロワーさんから聞いて初めて気づいたけど確かにそうでした・ ・・・だから最後にお涼が出てくるのかと納得しました。
お涼は殺すけど奇子は殺さないんだよ~・・・・ というか奇子の美しい思い出のお涼を殺してるのになぜ仁朗なんだ奇子よ。
あと、お涼もわりと原作のイメージと違ったような気がして( 個人的にはあんなにキャッキャ笑うイメージではなくって)、それでぼんやり思ってたんですけど、この場合は“白痴” ですけど、 ざっくりそういう感じの単語でくくられる役ってなぜ皆キャッキャ笑うんだろう?演劇界のセオリーか何かあるんですかね

 


視覚的な演出について
奇子に対して、 伺朗とはなお以外あんまり横並びにならなくて身長差がわからない のとか、 伺朗が兄たちと話すときに腰おとして低い姿勢になったり、 八百屋舞台の使い方だったり、高低差を使った身長の見せ方とか、 物理的大きさによる精神的な序列というか、存在の大小というか、なんか、その見せ方が本当によかったと思います。 公演ごとに書き殴ってた手書きレポになんども書いたんですけど、 奇子がほんとうに大きい。本当に大きいんでしょうけど、 確実にそれ以上に大きく見える。「大きくなったな・・・」 とかまじで体格差どれだけあるの!?って思ったもの。
カーテンコールまで仁朗と奇子が並ばないので( カーテンコールも隣じゃない)本当に身長差がわからない。 仁朗は奇子と一緒のシーンで見ると存在の差も含めてめちゃ小さい けど、単体とか市朗と並ぶとめっちゃ背高いんですよね。
仁朗(も市朗も)って原作だと結構大きいイメージだったので一番そこにびっくりし たんですけど、小さいからこそ奇子の前では無力とか、 実は弱いとかが表現しやすいのかな。とてもよかったな~。
仁朗は単体だとインソール効果もあるかもしれないけど、 本当に背がすらっと高く見えてかっこよかった・・・・
あと、水戸公演で端から見た時に、 横のにゅるんが坂の上を隠していて、坂の上に座る奇子の顔が、というかほとんど奇子は見えなくて、 脚だけ見えてるのがすごくセックスの象徴みたいで(これを詳しく説明するとわたしの半生を語ることになるので端折り ます)、なおかつとても不気味な存在みたいで面白かったです。
それと装置と舞台の赤が血的な色を表現しているのに対して、 物理的な血液が黒で表現されてるのにぐっときました。 仁朗のシャツについた江野の血とか、離縁状の手形とか。 多分ですが・・・

 


お芝居について

で、五関様のお芝居が良かった話していいですか・・・・・ なんか、アイドルとか俳優とか超えて舞台に立ってる姿・動き・ 表情があまりに美しくて、その美しさにものすごく感動しました・・・・・(だから担いでるんですけど・・・・・・・・・・) ただ立ち上がるところの身体があまりにかっこよくて「 かっこいい」って声が出そうになって焦った瞬間もありました。 カーテンコール終わりに引っ込む歩き姿もきれいでかっこよかったです。作品の内容以前に、 舞台に立つ生の人間の美しさでその場を支配できるのってすごいことだと思うんですよ。ほかのどの手段でもなく、 お芝居であるからこその醍醐味ですね。
それと身体で言うと、 手足が長くて手が大きいから一挙一動がものすごく大きく意味深に 見えるな~と思いました。 シンプルな装置で動きが見やすいってのもあったかもしれないですけど。身体が喋る喋る。さすがダンスの人。
それに関して、五関様って体が動くと腕がついて動くんですけど、 それは遠くから見るととても気になりました。 リンバージャックみたい。腕に目が行っちゃうんですけど、 たぶん特に何かの表現という訳でもなさそうみたいなところが多くて・・・ 近くから見るとそれ以上にたぶん顔とか目とか見えるから気になりませんが。 ブリーゼでは腕らへんの高さが全部手すりで見えなかったのでまた違いました。そこから、 これまでも五関様の後ずさりのお芝居ってとても印象的で表現が大きい(場面によっては必要以上では?と思うこともある) と思ってたんですけど、 理由がその腕と手がついてくることなのかなと思いました。

それと目元とか、表情がとてもいいことに気付いて、 結構伏し目だし片方は眼帯なのであんまり目が見えないんですけど 、そのおかげで一点に集中できるし、左目も頑張ったでしょうし、 たまにかっと見開いたとき(具体的にいうと水戸では窖で寝ててはなおを追い払って奇子にナイフを向けるために起き上がる直前、 東京ではお涼の殺害現場を奇子に見られたとこ、 銃撃戦で撃たれる直前、大阪では「この家のことをぜ〜んぶ白状しないといけない」的なセリフのとこ) の力がすごかった・・・・・そうか・・・・・彼は目がいいのか・・・・・(新しい発見ができて嬉しい)でも一番重要な(?)死に際のセリフを言う時に客席に向いてるのが眼帯側の顔ってのもとてもいいですね・・・・・・この想像の余地がすごい2019・ ・・・・・・・
最後の語り(?)とかで喋ってる間にひゅって眉が寄るのとかもよかったです。 なんか、視線と合わせてぞくぞくするような色気がありました。 アイメイクも表情を殺さずに雰囲気はましましで色っぽさアップしててとてもよかったです。下のラインが濃いめで、 シャドウがたぶん吊り目感軽減のために目じり下に入っていて・・ ・・
それに呼吸もいいんですよね。呼吸が。 目と連動する部分もあるんですけど、 お涼を殺してるのを奇子に見られたところとか、 ハッてなるのと一緒に紀伊国屋ホールの最後列にいた私も息が止まって。あとは苦しいとこ痛いとことか、通常が凪だからこそ、 少し乱れた時のインパクトが・・・・・・・・すごい・・・・・・ えろ(自主規制)・・・・・・・ぐっときました・・・・・・・・

あとは声が、声が、 何のストレスも無く聞けるくらい聞き取りやすくて、 かつ声質というかなんというかも公演期間中にどんどん良くなっていて、 これはまた後で詳しく書きます。
初めてお芝居してる姿を見たシェイクスピアの時にセリフが聞き取 れなくて??となる事が多かったので、 よりなんかよく感じますよね・・・・・

 


今回、はじめて外部舞台を複数回見たんですよ( そんなに回数見てないですけど)。 回を重ねるごとによくなるタイプのお芝居だったからぜひ見届けた いと思ったのとか、自担の初めての単独主演舞台とか、 職場環境がちょっと変わって休みが取りやすくなったとか、 定価でのチケットの譲りがあったとか、 欲の舞台だったのでわたしも欲をむき出したとか、 いろいろ理由はあるんですけど。それにしても多ステ? しがいがあるお芝居だなと思いました。 進化できる作品であったことと、実際に進化できたこととか。 おそらくもっと見ていたら進化の枝分かれの瞬間とかもわかったんだろうなと・・・人は欲深い・・・


自分が見た中では7/22と7/23の公演が個人的にキーポイントだと思っていて、 22日の昼公演で最後のあたりで仁朗から凄まじく切ない無念を感じて、全回通してこの回のここだけ( あとこの回のカテコ1回目でもあまりのかっこよさにぐっときたけど)泣いたんですけど、 22夜からは全体的な印象として優しさを感じるようになったんで すよね。で23日に急に声が良くなって、 聞いてて気持ちよかったんです。 東京公演前半はここしか見てない上に、 あんまり感想が流れてこなかったから、 他の公演がどうだったかわからないんですけど、 なんていうのかな。声がよくなったのが、 発声というのもあるけど( 発声も間違いなくレベルアップしてますが)、役の気持ちとか、 内から出るやさしくて温かな愛情もあったのかなと思います。
どことなく、役と素の本人がいい感じになじんでる感じがあって、 個人的にはここで進化の瞬間を見れたのではないかと、 思っています。でもこれに関しては、 見た人がそれぞれ自分の見た回がキーポイントだし最高だったって思えるんじゃないかな・・・・・・・・・
わたしは育てたいアイドルおたくではないんだけど、 でも成長の瞬間を見れることはとても嬉しいなと思いました。 好きな人が凄いのは嬉しい。


 
で、あまりの良さに慌てて東京楽近くも見たい! ってなって27日のチケットも取って行ったんですけど、 そこで仁朗が優しいまま先に進んでいたようで、 あまりに優しくて。( 個人的に優しさは人間的な強さだと思っているので) 強くなってしまうと、 最初に見ていた奇子とのパワーバランスが変わってきてしまうなと 思ってしまって。
やっぱり仁朗のポイントは“無力感”だと思うので、 煮え切らないというか、せっかく奇子が神様のようなポジションにいるのに、裁かれる側の仁朗が強くなると、どうなんだろう。
ちなみに水戸公演はとても弱いというか、15日に「 おれが好きなんだろう!」って叫んだのが、 すごく自己愛の塊っぽかったんですけど、 声を張ったのに声質も相まって胸を引き裂かれるように弱くて・・ ・・・それもたまらなかったのですが・・・強くなったね・・・・
と思っていたら次に見た大阪楽ではそれを上回るほど奇子が最強になっていて、具体的には「おれが好きなんだろう」の所で、 これまで座ってた奇子が立ってたんですよね。それで、 仁朗の顔が完全に正面で俯いて見えなくなっていました。 あらたに、あまりにもはっきり力関係を提示されて、仁朗の独占欲とか支配欲の中に確かにある優しさ、家族に対する親愛とか父性とか慈しみだとかの善性も全部ひっくり 返して断罪というか、ばっさり無にしてたのがとてもよかったです・・・・・ 奇子が引っくり返すものの大きさが変わることで、 お芝居としての深みも増していた気がする。 奇子の前では支配欲も愛情も等しく無力。


これ、もし仁朗がただの支配欲マンとかだったらざまあ(笑)ってなるんですけど、 本当の優しさとか父性とか善い部分があるからこそ、 ばっさり無力を突きつけられた時にとても切なく感じました。
いやあまりに奇子が強すぎて、ちょっとだけ仁朗が「 おれならお前に(女の幸せを)与えられた」 とか言ってるの聞いて、よくおまえそこまで思い上がれるな・・・・みたいになってましたけど。「おれが死んだらおれの肉を食え」 とかも、なんか、 自分のおかげで幸せになってほしい支配欲がすごくて、 しかも誰よりも食べる場所少なそうなのにすごい悪あがきだよなと。でもやっぱり心の底からの慈しみというか、 本当に生きてほしい優しい気持ちもあるからせつないし、その後「 おまえだけはこの家の呪縛から解き放たれて・・・」 って言い残すけど、 言われなくても奇子は仁朗がいなくても幸せに生きていけるので余計せつない。
でも死んだ後で奇子が歌ってくれる子守歌がとても優しくて慈悲深くて、ちょっと救われたような気になった。よかったね・・・・・ (?)
仁朗は奇子を自分の手で幸せにさせたかったけど、 心のどこかでは純粋に奇子が幸せになることも望んでたんだろうなぁ・・・・・(何としても関与したそうだったけど)・・・たぶん・・・・・


でもこの進化について、進化としてこれができるのってやっぱり、 五関様が優しさとか慈愛の心を人間の本質として持ってるからだと思うんですよね。というか、 そうじゃないとあの仁朗役で滲み出てこない気がして。 あと原作でも個人的に仁朗からは結構やさしい愛情というか父性と いうかを感じていたので、そういう解釈が合ったのも嬉しいです。(そもそも原作読んだ時点で仁朗がクズとかひどい人とは思ってませんでした・・・)
事前インタビューとかで、 いつも上手に隠してる本性を引きずり出さないといけないみたいな ことをいろんなとこで言っていましたが、ふたを開けたらそれが“ 優しさ”ってすごいな・・・・・ 人間の本質を引きずり出して陽の部分が出てくる人っているんだな ・・・・・・とおたくは幸せになりました。 ネアカの五関様が演じる意味よ。


これ、もし出てきたのがドッロドロの支配欲とかズルズルの性欲とかどす黒い孤独感とか地獄の承認欲求だったらどうなってたんだろうな。 (それも面白そうですが)


あと、その前述の大阪で奇子が立ったのも、 五関様の優しさとかが出てきてしまったから強さでねじ伏せるために立たせたのかな・・・とか思いました。分かりませんが・・・

 


ちなみになぜわたしが仁朗と奇子の関係についてばっかり見てたかというと、あの、仁朗の「おれはお前を・・・!」 のセリフで原作にはある“愛している”が無くなっていたのと、 奇子の「わたし、仁朗にいちゃんのこと・・・」 っていうまるで対のような原作にないセリフがあって、 その言いきらない部分で何を言いたかったのか知りたかったんです よね。究極の話わかりませんでしたけど、はなおと伺朗が「 闇から救い出す・助け出す」って言ってて、 似たセリフで意思表示をしてるんですよね。は~~~~~っ( 興奮)
水戸とかでは「わたし、仁朗にいちゃんのこと・・・」 でなぜここにきて勝者を発表するのか?と思ってたんですけど、なんかそういう訳でもなくって、でも奇子の項でも書きましたが「 やっぱり仁朗兄ちゃんだったのね」 があるからなぜか奇子は仁朗を特別扱いしてるんですよね。これは最後まで謎でした・・・・・・ 謎で残すつもりだったのかな~・・・・ でもここで中途半端にわかったらそれはそれでなぜ・・・? ってなってたとは思うんでしょうけど。 志子のこと少ししか覚えてないのに、 なぜ仁朗のことは覚えててなんかなんか・・・・
まあ、これは一生抱えながら生きていきます・・・・・


謝罪について
伺朗はみんなに奇子に謝ってほしくてみんなを窖に閉じ込めるけど 、で自分もすまなかっただ・・・って謝るけど、 正直言うと奇子は別に謝罪を必要としていないし、 謝ったところで奇子の22年間は返ってこないし、 でも伺朗はみんなに強要して、仁朗も市朗に強要するんですよね。 謝罪って究極のエゴで、謝る側だけすっきりして、 謝られた側ってそうでも・・・ みたいなことだって多々あるわけですし。でもなんか仁朗と伺朗は奇子からの「死なないで」って言葉をかけてもらってるのが赦されてるみたいにも見えました。まあ、でもそれはエゴだけじゃない愛情とかが伝わったのかな・・・・なんて・・・・

 


で、最後に、 最後のラストシーンが本当に好きなんですけどああいう終わり方が 様式美として大好きなので、 あれをまさか自担がやってくれるなんて・・・・・・・ 生きててよかった・・・・・ 糸が切れた人形みたいに倒れるモーションも美しいし、 完成した構図もとても美しいし。よかったね~・・・・・・いや、 よかった・・・・・・
五関様が面白いお芝居に出てよかったし、 それが初めての単独主演って本当にうれしいことだなと思いました。あと“自担の初主演”を体験できたのも嬉しかった!


(っていうか、発表があった4/25の前日、ショウタイム試写会の後にフォロワーさんとそろそろ五関様の舞台見たいよね~ そういえばわたし外部舞台ではサクラパパオーが好きなんだよねみたいな話をしていて、そこからの流れで本当に運命を感じた・・・ ・・)

 

 

おわりに、観劇した日のレポというかメモ達を上げておきます。 自分用メモなので字も絵も殴り書きですが。 具体的なセリフとか動作への感想がいろいろ書いてあります。あと、その回ごとに印象的だったこと、分からなかったこと、発見したことなど。観劇中にメモを取らず、後でホテルに帰った時や新幹線の中で覚えている印象的だったことを拾って書いてます。

 

最初はレポのつもりだったので絵が多めですけど、あまりの見応えにだんだん文章が増えたり、顔を覚えて似顔絵のクオリティが上がったりしてます(笑)

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以下は終わってから後から書いたまとめというか、全員書こうとして力尽きました。
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